• essay#10 銘酒「笑福亭松喬」

    Posted on 12月 10, 2014 by in Essay&Column

     

    久しぶりに落語をきいた。

    といっても寄席に足を運んだのではなくテレビで。しかも、放送を愉しみにしていたわけではない。

    日曜の午後、たまたまテレビをつけたら、三遊亭圓丈さんがNHK教育で「八五郎出世」を語っていたのだった。

    それにしても――お笑い芸に接することが、ここ数年は珍しくなってしまった。『吉本興業の正体』や『お笑い芸人就職読本』の執筆時には、オニのように劇場、寄席、ライブへ通っていたというのに。大阪あるいは東京で、吉本の面々や芸人たちと酒を酌み交わしていたくせに。

    あの頃は、お笑い番組があると率先してチャンネルを合わせるようにしていた。しかし、いまはお笑いタレントが出ている番組をほとんど観ない。ときにはテレビを消したりする。

    理由は、彼らと肌があわないから。

    こと「芸」という意味において、テレビが垂れ流す笑いは絶望的だ。最近の人気お笑いタレントにも、まったく興味がない。

    とはいえ、深夜番組にはいまも挑戦的なココロミがあるのではないか。そんな期待はするのだけれど、夜中に自宅で酒を呑まなくなったので、そんな時間にテレビを観ることがなくなった。

    40代は、夜半に仕事を終えた後、日本酒をなみなみと湯呑に注ぎ、唇からお迎えにいったものだ。決まって翌朝は胃の調子がよろしくない。それでも、執筆の興奮がつづくノーミソをほぐすには、うまい酒とアホに徹した笑いが必要だった。

    さて――私は圓丈さんのことをよく知らない。彼の芸に接したこともない。江戸落語より上方落語のほうが、ずっと近しいこともあるし、勉強と取材を兼ねて通った浅草演芸ホールでは、ついぞ一度も圓丈さんの高座にぶちあたるチャンスがなかった。

    テレビが流した「八五郎出世」の出来は、おそらく圓丈さんにしたらベストなものじゃなかっただろう。微妙にギターのチューニングがずれているバンドみたいな感じがした。

    でも、けっこう愉しめた。

    落語がそよと吹かせる風、それがとってもここちよかった。爆風や突風ではなく微風。頬や髪がやさしく揺れる程度のつよさ。冷たくも熱くもなく、ちょうどいい按配。

    ゲラゲラと笑うのではない。だけど、なんとなく面白い。ふと気づけば、頬や口もとが緩んでいる状態。

    それが、しみじみとありがたい。

    おまけに「八五郎出世」は人情話でもあるから、そのウエットさがオツな風情をプラスする。

    ほどよく心をほぐしてもらった。

    これに似た感覚、以前にもあった。

    日本酒のうまさに目覚めたのがそれ。あのときは30歳を少し過ぎた頃合いだったのだが、ぬる燗なんぞをチクとやりながら、「日本酒っていいなあ」とつくづく感じいった。

    理屈ではなく、ココロとカラダで日本酒の醸す「やさしさ」が腑におちた。

    当時、私は広告会社の営業職で、中学時代に匹敵する暗黒の日々を送っていた。心身とも暴発寸前で出逢ったのが日本酒の、染みいるうまさだった。

    広告マンとして順風満帆だったとしたら、おそらく日本酒に見向きもしなかっただろう。会社の経費をバカスカ使い、六本木でIWハーパーをモエ・シャンドンで割ったのを浴びてたんじゃなかろうか(ホントにアホですね)。

     

    あれから20年ほど経った私が、改めて落語にほだされた。

    しかるに――いまの私は、当時ほど絶望的ではないものの、やはり苦く重いものを抱いて日々を過ごしている。そのせいで、心のどこかが変な具合にヘコんでいるに違いない。そこを、落語がそっと埋めてくれたということなのだろう。

    苦笑まじりで、こう自己診断した。

     

    がさごぞと倉庫を探して、落語のテープを引っぱりだしてきた。

    笑福亭松鶴さん、彼の愛弟子・笑福亭松喬さん。先代の桂文枝さん(「小文枝」というほうが、私にはしっくりくるのだけれど)、それに桂枝雀さん。

    彼らは、ワタクシ版四天王というべき噺家さん。しかも見事に全員、この世の人ではない。

    だが、時をこえても確かな芸が、しっかりと聞き手をつつんでくれる。

    松鶴さんの、えげつなくもドス黒いグルーブ感は類をみない。松鶴さんとジョージ・クリントンは兄弟なんじゃないか(まさか……)。

    五代目文枝さんはハイトーンのうえアタックが強く、意外に粘っこい。そして、女性を演じたときの艶っぽさは極上の上だ。

    枝雀さんはパーフェクト。緊張と緩和、間、息、構成、くすぐり、展開、人物描写のすべてにソツがない。笑うまいと決意しても三秒で限界にくる。

    どなたもすばらしいのだが、ここは、もそっとレイドバック(!)したムードがほしい。なにしろ、こっちはココロにスリ傷を負っているのだし。

    で、笑福亭松喬さん。コッテ牛のような風貌どおりの語り口、急かないテンポ、飄々とした人物造形……じっくり煮込んで味が沁みこみ、ドドメ色になっているのだが、口にいれた途端にほろりと崩れる関東煮のタコのごとく。

    「そない辛気臭い顔してんと。ま、わたいの噺でもきいていきなはれ」

    なんだか、松喬さんから話しかけられているようで、思わずニヤつく。

    そういえば、松喬さんは筋金いりのお酒好き――松喬落語は、「坤滴」や「金陵」のように、燗をつけたらとびきりうまくなる銘酒を彷彿させる。

    その奥深さに、改めて感服した。

    「人生、いろいろありまんがな。気ぃようやってかな損でっせ」

    叱咤でも激励でも同情でも心配でもなく。松喬さんはそっと盃に酒を満たしてくれる。

    こういう噺家さんがいて、こういう愉しみかたができるという事実に、ささやかだけど、確かな喜びを感じる。

    ココロがモヤっとなってるかたは、ダマされたと思って松喬さんを。最近はYou-tubeでもかなりアップされている。

    「しんどなったら、また来なはれ。なんぞ見繕うて、噺をきかせたげまっさ」

    おおきに、おおきに。私はニカッと歯をみせながら松喬さんを聴き終えた。

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