• ポジティブ宣言

    Posted on 6月 4, 2015 by in Essay&Column

     

    ポジティブ宣言

     

    50歳を過ぎ、私は日を追って偏狭で偏狂になっていくようだった。

    どんどん、わが身を辺境に追いやっていく自分がちょっと怖くもあり、ときに情けなかったりしてあまり幸せな気分ではなかった。

    財政逼迫という動かし難い事実も、額に皺を2、3本増やす要因であった。そして、頭髪は200本、300本と抜けていくのだ。

     

    おカネって不思議なモンですね。

    人なみ以上に稼いでいたときでさえ(過去に、そういう時期があったことを、歴史的事実として書き残しておきたい)、こんな想いは消えなかった。

    「カネが足らん」

    財布にそれなりの現金が鎮座ましましていても、なんだか落ち着かない。

    「天井から一万円札がひらひらと舞い落ちてこぬものか」

    吉行淳之介さんじゃないが、こう嘆息して恨めし気に上目遣いになったものだった。

    サイフが疲弊していったことに関しては、婦女子方面問題やら被服関係問題なども密接にからんでくる。

    さらには、仕事にかかわる処世術や人間関係のモツれにホコロビにも着目が必要であろう。

    出版不況が及ぼす影響だって大だ。

    なぜ、私の著作は売れないのだろう?

    そんなあれこれは、それぞれ奥深い事々であるので、おいおいじっくり考察してまいりましょう。

     

    で、話を戻して。

    いま、この時点までの50代の日々を総括すると――思いもよらぬハードロードであった。

    人生でいまがいちばん苦しい。

    若き日に漏らした戯言をきいてもらおう。

    「50歳になったら、大先生として悠悠自適。

    単行本は売れに売れ、映画やテレビドラマ、舞台でも原作として引っぱりだこ。

    左ウチワとはこのこった」

    だが、現実は厳しい。ひたすらシビアだ。

    こういうとき、人間はどう行動するか――。

    20代の私なら呆然と立ちすくんだはず。

    30代前半だと人生啓発書にすがったかも。

    当時の私がアホだった証拠だ。

    30代後半から40代初頭にかけては……イケイケどんどんだったので、「そんなん、知るかい!」と怒鳴っていただろう。

    40代半ばから後半は悔悟の日々。

    あるいは、特定の人物や出来事に対する憎悪。

    反動として、そんな自分を激しく嫌悪した。

    出家して、社会から遁走しようと本気で愚考したこともあった。

     

    そして、いまは完全に開き直ってしまった。

    私は自省癖の強い、きわめて謙虚で、とびきりナイーブな男であるのだけれど、最近はずいぶん図太くなってきた。

    あるいは、常に神経の奥深くに潜んでおったゆえ、あるかなしかにしか表出しなかった自己肯定がググッと前に出てきたというべきか。

     

    早い話が、かなり自己中心なのだ。

    他人の思惑とか評判なんて、どうだっていい。

    自分の好きなように生きてやる。

    こんな危険思想にまみれている。

    だから、「~であるべきだ」と理想を語らなくなった。

    (フツーにしてても自分は最高)

    自己犠牲精神は地下倉庫に格納した。

    (自分がハッピー、これがベスト。他人の幸せや不幸は欄外)

    あまねく人に愛されようと欲しない。

    (どうせ、私の本質は崇高で難解すぎるので凡人どもには理解できない)

    失敗しても本気で反省しない。

    (でも反省のフリはする。そうしないと、少ない仕事が皆無になってしまう)

    自分を責めず他人のせいにする。

    (万事が楽だ)

    ガンバリすぎは禁物。

    (完璧なんてありえない)

     

    こんな自覚症状を語ったら、ある人から満面の笑顔で指摘された。

    「ずいぶんポジティブに生きてますね!」

    私は、驚いた。

    へえ~、そうなんだ。ふ~ん。

    偽らざる心境を申し上げよう。

    「ポジティブって底の浅いもんやな」

    こうなったのは、ハードな日々のおかげ。

    あらゆる面で幸せだったら、私は以前のまんまだったろうよ。

    とはいえ、そんなことすら、どうだっていい。

    「好きなモンを、好きなように書いていく」

    私の眼中には、このことしかない。

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