• 『エデュケーション』裏あとがき

    Posted on 12月 24, 2015 by in Essay&Column

     

    やさしく表紙を撫ぜる。

    トントンと本の地を机にあてカバー、帯の位置を正す。

    思わず、知らずニンマリしてしまう。

    新刊書ができあがってきたときはこんな按配だ。デビュー作『果てなき渇望』のときも今も、それは変わらない。

    『エデュケーション』(新潮社)は、私にとって2冊目の小説単行本になる。

    プロの物書きになってからだと12冊目。

    『果てなき渇望』が40歳のときだった。作家生活15年で、これだけの作品数なのだから寡作といってもいいだろう(とはいえ、私は決してナマケモノではありません)

     

    実際『エデュケーション』にも、ずいぶん時間がかかってしまった。

    構想の入り口めいたことを新潮社の担当編集者に説明したのは、2011年の夏。東日本大震災の被災地で奮闘した医師たちを取材している最中だった。

    さっそくプロットを仕上げ、秋から執筆に入ったのだが――その後がホントに長かった。

     

    『エデュケーション』は、主人公の高堂友杜を中心に、20代前半の若者たちが中心になって「理想の小学校」を立ち上げようと奔走する物語。

    彼らはこれまでの小学校じゃダメだ! とアクションをおこす。

    「いまの教育じゃ何も生まれない。この国に必要なのは、子どもの可能性をみつけて、引っぱりあげ、伸ばしていく理想の小学校。それを僕らの力でこしらえよう!」

    彼らの心の支えこそが、エデュケーション。

    イケメン塩顔で心やさしき男・友杜(プロットでは、映画「君に届け」の頃の三浦春馬を想定→勝手にスミマセン)の呼びかけに、親友でコワモテ武道家の東山荘太が応じる。

    他にも女子大生の梢美咲(当初は桐谷美玲をキャスティングしたが、今は土屋太鳳かなあ……またも勝手にごめんなさい)、数字に強い嘉村浩樹、派手好きな勝田大輔、現役教師の岸岡恒彦ら仲間が集う。

    ほかにも友杜の恋人、むっちゃクールで勝気な池内玲奈(若い頃の沢尻エリカか黒木メイサ、以下同)などなど個性たっぷりな面々が絡んでくる。

     

    だが、彼らには高くて分厚い壁が立ちはだかる。

    ことに資金問題はシビア。ようやくみつけた廃校跡を買収するには、最低でも四億円を調達しなければいけない。

    「こんな大金を僕らだけで用意できるのか」

    それでも友杜たちはチャレンジしていく。夢情熱の原動力とする彼ら。そんな彼らに、金策だけでなく次々に試練が襲いかかる。世間の「若さ」に対する軽視、恋愛問題、挫折や裏切りばかりか黒い策謀まで。

    しかし、若者たちは前進することをやめない。

     

    『エデュケーション』の執筆は紆余曲折、ジクザグの道のりの連続だった。

    まず、『ジョーの夢』にゴーサインが出た。

    これは、新島襄の物語。新島が日本初の私立大学を設立するために命を賭した日々を描く。しかも、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」(新島夫人の八重が主人公)にまんまと便乗することを狙ったせいで、12年の師走までに出版することが至上命令となった。

    なにせ私はキャパシティの狭い作家(そんなこと、自慢するな)。

    『エデュケーション』と『ジョーの夢』を同時にモノするのは至難の業だった……。

    結果として『エデュケーション』は、置いてきぼりを喰らうことに……。

    かくして、私の小説第1作は『ジョーの夢』ということになった。

     

    『ジョーの夢』を送り出し、いよいよ『エデュケーション』に全精力を――しかし、環境と私の心のありようがそれを阻んだ。

    年々どころか日々深刻さを増す出版事情。

    これまでの売文仕事に対する明らかなボルテージの低下。

    どんどん減っていく売り上げに悲鳴をあげつつ、小学生時代から掲げていた小説への傾注をいまこそ実現せねばというあせり。

    ま、このあたりの事情は長くなるし、書きたいことがいっぱいあるので別に機会がきたら、じっくりたっぷりと。

     

    そうやって自問自答と悪あがきを繰り返しながら、ようやく『エデュケーション』を脱稿できたのは2014年9月のことだった。

    しかし――この原稿は担当編集者から突き返された。

    終盤の展開を再考してほしいという注文に、ただただ私は呻くことしかできない。そればかりか激しく落ち込み、ラチのあかない不毛のループをぐるぐるたどるようになってしまった。

    再びペンを執ったのは、年が明けてから。

    それでも、まだ不毛の心境からは抜け出せない。生活も苦しくなるばかり。

    その中での執筆は、これまでの売文稼業で経験したことのないシビアな作業となった。

    もう、アカンのとちゃうか?

    こんな弱音に首根っこを押さえられそうになったことも度々だった。

     

    なんとか2回目の脱稿を果たしたのは2015年の初夏。

    順当なら晩秋あたりに上梓のはずだが、なにしろ私は「無名の新人小説家」。売れっ子や話題作に順番を譲らざるをえない。これもまた、出版界の現実というものだ。

    『エデュケーション』は そんなこんなを経て、ようよう12月22日に書店に並んだ。

    足掛け4年という歳月も、こうなれば過去のこと。あれこれ苦労をしたのは事実だが、こと金銭的な意味では、家族に苦汁をなめさせてしまった。これほど申し訳ないことはない。

     

    とはいえ、私は『エデュケーション』の出来に満足している。やはり編集担当者のいうとおりで、終盤は書き直すべきだった。その教示に対し深く感謝せねばならない。

     

    本作には、私の読書体験を彩ってくださった作家と作品への敬愛も込められている。『ムーミン』から『飛ぶ教室』を経て『どくとるマンボウ青春記』それに『南総里見八犬伝』などなどは、有形無形で物語づくりに刺激を与えてくれた。

     

    デビュー作から、私のこれぞという作品はすべて「果てなき渇望」というテーマで一貫している。私には書くことしか能がない。書くことでしか自己表現ができぬ。そんな身にとっては、書き続けることしか道がない。

    『エデュケーション』の長きにわたる執筆は、そのことを改めて知らしめてくれた。

    『エデュケーション』、ぜひご高覧ください。よろしくお願い申し上げます。

     

    実は2016年春の刊行をめざして、もう一冊の小説と格闘している。

    これは寛永から明和、寛政の江戸が舞台。こちらも終盤の山場にかかってきた。

    私の50代前半はこれといった作品もなく、ほぼ空白期間だった。

    遅ればせながら、沈黙の日々を取り戻そうと躍起になっている次第でございます。

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