永い夏

 同志社大学に通っている頃、滋賀の彦根へ遊びにいった。

 湖国の夏は京都や大阪に負けず居丈高、琵琶湖の水がほとんど蒸発してしまっているのかと勘ぐりたくなるほど多湿、半袖シャツがべっとりと肌にはりついた。

「あづい」

「つ」に濁点をつけたくなるほどの暑さだった。


 ざっと彦根城を見学したあと、かき氷屋をみつけた。

 人の好さそうな萎びた爺さんが、ひとりで切り盛りする店だった。少し腰がまがっているうえ、麦わら帽子の紐を首にかけているので、背中に回した帽子が瘤のようにみえた。白いクレープ地のシャツ、グレーの作業ズボンからキャメル色の腹巻がのぞく。

 小さな店のガラス戸は空け放たれ、中では画像の荒いテレビが高校野球を放送している。


 爺さんはタバコを口の端にくわえ、でっかい氷をガリガリ削る。

 古びて透明度の低いガラス器に白い雪が高々と盛られる。表の通りにふりそそぐ強い日差し。かき氷を口に運ぶたびにキーンと後頭部が直撃される。イチゴシロップで毒々しい色に染まる唇――まさに盛夏であった。


 ふと店頭に掲げられた木綿地の幟をみやる。

 手描きのようだった。爺さんが絵筆をふるったのだろうか。

 白地に紺で荒海が描かれ、緑の浜千鳥は空に舞う。真ん中に大きく真っ赤な「氷」の一文字。波打つ曲線の荒々しさ、何ともかわいい千鳥の対比が味わい深い。

 なかなかの絵心、思わず感心した。


 でも、どこかヘン。どうにも収まりが悪い。

 かき氷が赤いシロップ水になっていくのもかまわず、じ~っと幟をみつめる。

 よくよく観察すれば……あれまあ、氷じゃなくて「永」! 

 自信たっぷり、朱墨で鮮やかに大書されている。

 それに気づいた途端、「永」の字がいきなり巨大化し私を圧倒した。


 だけど、とても爺さんを嗤う気になれなかった。

 まして誤字を指摘するおせっかいを焼くのも、大いにためらわれる。

 私は黙って店を出た。お代は金二百円也。

「へい、おおきに」

 爺さんはニカッと笑って金歯をみせ、眼を一本の線にした。


 あれから四十有余年。

 わが人生に痛恨事が起こるたび、氷ならぬ「永」の字が鮮明にフラッシュバックする。無知ゆえの失態、善意が良からぬ結果を生み、小さなミスで崩れるプライド、独善と知った時の愕然……羞恥、呆然、悔恨、自失……「永」の事態はたびたび私を襲った。


 どうせなら、氷を「永」と間違えたのに気づかず、あるいは指摘されぬままのほうが幸せじゃないか、と思ったりする。

 それとも、あの爺さんは誤字ということを知っていたのだろうか。

 もし「永」だということを承知のうえ、悠々と氷を掻いていたとしたら。

 これはもう、達意の御仁というべきだろう。

 私は、いまだにその心境とはほど遠い。

 氷のつもりが「永」――夏の思い出は、今も妙にほろ苦い……。