• エッセイ#9 大分紀行1「フグの至福」

    Posted on 4月 18, 2014 by in Essay&Column

    春、4月。大分市へいってきた。

    「フグ、もうシーズンは終わったけん」

    ふらりと入った寿司屋でコワモテの若い板前がいった。私はピクッと片眉を動かしたものの、沈着さを失わずにお勘定を払った。

    だが、そのときの胸中たるや――。

    「じゃかあっしゃい! オレは食いたいもんを食いたいときに食うんじゃい」

    久しぶりのひとり旅だ。

    しかも50代で最初のひとり旅(来週あたり、私は54歳になります)。

    加えて、私にとって大分市は未踏の地。

    男のひとり旅において、夕食のチョイスはその趨勢を左右する大問題ではある。

    だが、私になんら逡巡はなかった。

    「フグだ、フグ、フグ」

    あの白くもっちり締まった身と、この魚ならではのあえかな香り、甘さ。フグを淡泊という御仁はトーフの角で頭を打ちつけよ。

    淡麗と見せかけて、実はしっかりとした味わいがある。

    身のみならず、皮よし白子よし。ひれ酒さらによし。難点は骨が多いこと。

    そして、お値段(これがホンマにシビア)。

     

    「さ、奥へどうぞ」

    私より十歳は年配とおぼしいが、和服に完璧なメイクが侮れない女将に導かれ「橘の間」に入る。六畳、掘りごたつ。違い棚には、薄い桃色の洋花と紡錘形をした新芽の枝が活けてある。書院の障子紙の色目は少し橙がはいっていた。さらにテーブルには一輪ざし。

    カウンター席でちんまり食すのも仕方ないと観念していただけに、個室というのがうれしい。

    遠くの座敷から、男たちの笑い声が小さく聞こえるけれど特に気にはならない。

    「週末ですが、たまたまこのお部屋が空いておりました。ご縁、感じますわ」

    女将が世辞をいいつつ、エビスの中瓶を小体のグラスに注ぐ。

    「エビス→サッポロ赤星→一番搾り→サッポロ黒ラベル→キリンラガー」とは、麦酒オーダーにおいて自ら課している厳しいヒエラルキーだ。そういえば、サッポロビールは大分県日田市にて醸されている(大阪・茨木工場閉鎖後、西日本の工場はここだけ)。

    コースは2つ。フグシューマイ(2コ)とフグ寿司(2カン)がつくかつかぬかの差。シューマイはフグじゃなくてブタかエビが望ましい。寿司は昼にいただいた。酢飯を2食続けて口にする気にはならん。

    「よって8400円のコースにします」

    女将、艶然とほほ笑んだ。

    「ウチはボリュームが凄いので、それでよろしゅうございましょう」

    「酒はこれ以上呑みません。ひたすらフグをいただきたい」

    「きっとご満足いただけますわ」

    私、一瞬の間をおいてのべる。

    「されど、ひれ酒だけは……」

    女将、大年増の色香を放ちつつ横眼を使う。

    「大分の地酒、とってもおいしいのがございます。ご期待あれ」

    ――万事、うまく進んでおるではないか。

     

    口取りはフグ皮の肝あえ。

    次いで、てっさ。かなり分厚い。薄く切れば、というか東京や大阪なら優に2人前となろう。にもかかわらず、透明感がなまなかではない。有田の皿の絵柄がちゃんと透けてみえる。

    月鞘ネギを巻き、名代カボスのぽん酢にちょいとつける。

    これが、いい。カボスはユズやスダチほど柑橘香は強くないけれど、あえかな果実の甘みが味わえる。

    露骨な押し出しをせぬ佇まい、そこがとっても好ましい。さらに紅葉おろし。そっと舌を刺す辛み。薬味たちのハーモニーがすばらしい。

    そして、肝。これを食せるのは大分だけ。3分の1くらいを切り分けポン酢に解く。そうして、てっさを食せばまた格別。肝だけ口に運べば、濃醇でコクはあれども、魚臭さ、とりわけ鼻孔に侵入し、舌にも残る劣化臭がない。

    新鮮なハゲの肝もうまい。けれど、フグには一歩譲る……と今夜はいってしまおう。ハゲ、ゆるせよ。

    「大分でも条例ではフグの肝を出すのはご法度ですの。けど、それを罰する規則がありませんので、オホホホホ」

    女将は、わけがわかったようで、そのじつナニソレ? ってことをのたまう。私も愛想笑いで、ハアハアと適当にこたえる。

    法規問題はともかく。から揚げ、これも大ぶり。シューマイと寿司、オーダーしなくてよかった。

     

    特記すべきは、女将のあらわれるタイミング。どこぞにモニターが仕込んであるのか。実に絶妙の間合いで料理を運んでくる。

    「こういう商売をしておりますと、お客さまのお箸の進み具合はわかるものなんですの」

    女将はしゃあしゃあといってのけた。

    続いて、てっちり。これまた堪能した。家で鍋をすれば鶏、豚、牛にかかわらず野菜へ手が伸びがちなのだが、フグだけは違う。ひたすらフグだけ食べたい(けど春菊や白菜も完食しました。私はつくづくお行儀よいオッサンなり)。

    最後は雑炊、焼いた小餅をいれる。餅の焦げた匂いが鼻をくすぐる。月鞘、ポン酢を少々。さらさらと、すするがごとく掻きこむ。薄味に香の物でアクセントをつける。うまい。椀の縁まで舐めてもうまい。日本人に生まれて、ちゅーか、大分に来てよかった。冬ならもっとうまいのだろうか? でも、私にとっては、眼の前に至福があることこそ大事なのだ。

    しかし、画龍は点睛を欠いた。

    ひれ酒、これが……女将によれば、まことに縁起よい銘柄の大分地酒なれど。

    いかんせん甘い。熱燗にして酸がいっそうたち、ツーマッチ・スイートな余韻が腔内にこびりつく。ほぼジュースやないか、これ。もう一本、苦きビールを頼んで口の中を洗いたくなるほどであった。ヒレを炙った風味とまったくあわない。

    いまどきの日本酒、やたら酸がたって、フルーティーに傾く味わいが目立つ。しかも、かような果汁的甘みや薫り、ひとつの個性だけ際立った酒が評価されたりしている。しかし私にいわせれば、そんなのアンバランでしかない。うまい日本酒とは、すべての要素が高いレベルで均衡し安定しているのだ。五感の官能を充分に満たしてくれるから、どれかひとつだけ感性にひっかかることはない。

    あるいは大分の地酒――たまり醤油のごとく、カボスのごとく、この「甘さ」に九州の味覚の奥義が潜んでいるのかもしれない、のかな、ホントにそうなんだろうか。わからん。 何はともあれ、ヒレ酒、1合だけの注文で助かった。

     

    人生、おいそれと完璧にはいかない。

    日本酒から、またまた浮世の在り方を教えていただいた。

    「けど、フグはシーズンを外してもうまい」

    さて。料亭を出れば都町、大分市随一の歓楽街。奥歯の裏に残った、気色のわるい日本酒の後味を舌でこそげ落としながら、オッサンは夜の蝶の採取をもくろむのであった。

    かくして豊後の夜は、ゆるりと更けゆく。

    当夜の首尾は……待て次号。

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