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『たわけ本屋一代記 蔦屋重三郎』もうひとつの「あとがき」

本作は夕刊タブロイド紙「日刊ゲンダイ」に週日(祝日は休載)123回にわたって書き綴った作品を

1カ月半ほどの超のつく急ぎ仕事で再校正、加筆などを行い刊行に至りました。


まず新聞連載、しかも週日&6カ月という期間は私にとって初めてのこと。

(月刊誌で半年や週刊誌で数カ月の連載は経験済み)


当初は不安もありましたが、担当編集の原田かずこさんの、

にこやかなる悠然ぶり、マスダをおだててスルスルと木に登らせるお見事な手腕のおかげで、

書くよろこびを満喫できました。

原田さんは悪いところには眼をつむり、いいところをどんどん伸ばすタイプ。

入稿するたびに添えられた感想にどれだけ励まされたことか。

小説を描くにあたって、息苦しさ、悶えよりも愉しさがまさったのは今回が初めてのことでした。


「次郎兵衛(蔦重の義兄)ってアホやけどエエやつやねえ」

「あらっ、蔦重に恋の予感!」

「馬琴って今の若い人に通じるところがある。自分のやりたいことしか考えてないもん」


原田さんのひと言が登場人物の動きや作品の道筋を明るく照らしてくれました。

次郎兵衛が、ある意味では蔦重の最大の応援者になったり、蔦重と小紫との情愛が深まったのは原田さんから触発されたからこそなのです。

さすがに蔦重が寝ている私に「早く起きて原稿を書け」と起こしにくることはなかったのですが、

目覚めた途端に「今日は蔦重にこういわせよう」なんて閃(ひらめ)くことが何度もありました。


連載終了と同時に単行本化の作業がスタートしました。

突貫工事の校正作業を、原田さんからバトンタッチして担当してくれたのが橋爪健太さん。

文筆生活30年、64歳の私にとって歴代最年少というべき25歳の書籍担当者の彼とも、濃密な時間を共有しました。

初校から再校、念校と赤鉛筆どころか青鉛筆まで動員しての校正。

正直「もう蔦重はおなかいっぱい」って感じでした。


校閲からのアカ(修正)は作品の精度をアップさせるために不可欠。

「ありがたい」ことなのですが、時にカチンときてしまうことも。

だけど、橋爪さんは粘り強く細かなところまで読み、的確な指摘をしてくださいました。

橋爪さんとは、1行のために3時間近く「あーでもない」「こーでもない」と議論白熱したり(というより一方的に私がボヤいていた)。

「もういいんじゃないの?」なんて逃げ腰の私に、

「もうちょっとお付き合いください」と食い下がってくれました。

息子よりもまだ若い彼の好サポートのおかげで『たわけ本屋一代記 蔦屋重三郎』が上梓できたといっても過言ではありません。


ベテラン(といったら原田さんに叱られるかな)と若手の編集者はともに本作と作家に情熱を捧げてくださりました。それが私にはうれしいですし、ありがたい。本書と私はしあわせ者です。


最後に切り絵作家の小宮山逢邦さんにも御礼を申し上げます。

小宮山さんはグローバルに活躍するベテランの切り絵作家、123回の長丁場、決して筆の早くはない私の原稿を待ってくださり、毎回すばらしい作品を提供していただきました。

私も毎日「今日はどんな切り絵かな」と愉しみにしていました。

123枚、どれもがクオリティの高い美術作品です。

この場を借りて、小宮山さんにも深謝の意を捧げます。




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