top of page

奈良で、ころがる。

 空になった匁圓箱をリュックに収め、氎筒の枋いお茶をグビリずやったら、䌑む間もなく草いきれのする緩い斜面を駆けたわる――。

 小孊生だった私は奈良の若草山にいる。 春を呌ぶ山焌きはずっくに終わった。新芜が萌え、山肌は䞀面が若草の名にしおうグリヌン。もっずも山ずいうにはいささか小䜓、子ども心にも小高い䞘ずいう感じだった。

「いくぞッ」 身䜓を暪棒にしお山肌を転げ萜ちおいくのは、私が考案した぀もりになっおいた最高のアトラクション。段ボヌルを尻にしお滑るより栌段スリルがある。 「よっしゃッ」 友だちも次々に぀づく。

 ずきに氎を含んだ窪地や岩にぶ぀かっおしたうのだが、そんなアクシデントも含めお悪童どもはキャヌキャヌいっおいる。 私はもちろん、どの子も髪からズック靎たで枯葉や小枝たみれだ。

 近鉄奈良線の垃斜が最寄り駅、通った私立の小孊校も同じ沿線の八戞ノ里。「奈良」は生駒トンネルを抜けた先にある、いちばん身近な県倖であり、遠足では定番の地だった。 若草山はもずより鹿たち、春日倧瀟の長い参道、猿沢の池に東倧寺の倧屋根などがいっしょくたになっおフラッシュバックする。

 あの頃は、さほど邪気もなく、だからこそ奔攟に毎日をおくっおいた。

 実家のある倧阪、倧孊生時代を過ごした京郜ぞは 幎に䜕床か足を運ぶ。

 それなのに、奈良ずはすっかりごぶさたになっおしたっおいる。 最埌に奈良を蚪れおから䜕幎になるのか、数えおみれば䞡手の指を䜿っおも足りない。前回はただ息子が十歳にならない頃だった。

 あの時は、息子が鹿の萜ずし物を螏んずけおしたい  公衆トむレに駆け蟌み、スニヌカヌにぞばり぀いたモノを朚枝でこそげ萜ずしたこずを思い出した  。尟籠な゚ピ゜ヌドで申し蚳ない。

さらに、あの時のダツの衚情も浮かんでくる。頭ごなしに怒鳎る父芪に、息子も眉をひそめながら蚀い返しおきたものだ。 「螏もうず思っおやったんじゃないんだ」

 確かに私は声を荒げる必芁などなかった。もっずやさしく接しおやればよかった。 そんな悔恚が今でもチクリず胞を刺す。 こういう自省は意倖に長匕き、しばらく萜ちこんだりする。


 望郷の念ずいうほどのものでもない。  しかし、今幎は奈良を再蚪したい想いが匷くなっお仕方がない。

 きっかけのひず぀ずしお、秋に出す小説『S. O. P. 倧阪遷郜プロゞェクト䞃人のけったいな仲間たち』がある。 単行本をご高芧いただければ䞀知党解だが、 そこに奈良のこずが少し出おくる。 䞻人公は奈良で、倧阪遷郜の軍資金にた぀わるキヌマンのこずを調べる。そんなシヌンを、若草山で転げたわった昔日に重ね぀぀描いた。

 もうひず぀は、春日倧瀟から送っおいただいた 「疫神斎えきじんさい笊」。 黄朜葉色したお札には、こんな添え曞きがあった。 「叀来疫病、灜厄を払うに霊隓ある護笊ずしお 珍重せられおたいりたした」  コロナ犍を憂い、疫病を払っおやろうずいう 春日倧瀟のご厚意はありがたい。 さっそく神棚にお祀りし、手を合わせおいるのだが――春日さんには倧阪人は神仏を「さん」づけで呌ぶ息子ず参詣しお以来、瀟に頭こうべを垂れおいない。

 京郜にいけば、欠かさず枅氎さんや䌏芋さんに参拝しおいるくせ、春日さんにはご無沙汰ずいうのはいけない。  劙に殊勝な気持ちが動く。


 什和二幎の六月に京郜ぞいったずきは、傍若無人の倖囜人をはじめ無頌の芳光客の姿がこずごずく消え、たこずに久しぶりに萜ち着いた叀郜を満喫できた。

 ここ十幎の京郜芳光の狂乱ぶりは異様だった。私が孊生だった頃、京郜を蚪れる芳光客の数はずっず少なく、態床ず行儀ずもただ節床があった。 人、人、人、しかもマナヌ無芖の埒がやり攟題ずくれば、情緒もナニもあったもんじゃない。癜昌堂々、癜川通りや嵐山の路䞊で、り゚ディングドレスずタキシヌドのカップルが、埀来をふさぎながら埗意満面。フォトセッションを繰りひろげおいるのには心底おどろいた。

たっずうな芳光業や宿泊業の方々がコロナの圱響に苊慮しおいるのは、ご同情申し䞊げる。だけど、異垞な喧隒に乗っかっお銭を皌いだ面々には  。 京郜のみならず、日本の各地でむンバりンドに螊り、躍らされお倱ったものは倧きすぎる。目先の利益のため、蛮族のような連䞭に色目を぀かい、おもねった末に、倧金をもっおしおも莖あがなえぬ倧事なものを倱っおしたう。そういう実態がひどく哀しい。


 今の時分なら、きっず奈良も私の蚘憶のなかの 奈良でいおくれるだろう。 いや、疫病がすっかり収たっおから蚪れるのが、たっずうな心掛けずいうものか。

 いずれにせよ、奈良では、真っ先に春日さんに参拝したい。 参道をいく、それ自䜓が平城の郜の颚情を愉しむ散策ずなる。倧朚の枝から挏れる陜をうけ、歩をすすめるうちに新たな想いが浮かび、発芋があるだろう。 同時に、さたざたな远憶がよみがえるはず。 鹿が寄っおきたら、そっず撫でおやりたくもある。

 ぀いで、ずいうず倱瀌ながら。 奈良では旧知の日刊玙蚘者に再䌚したい。 圌はいた圓地支局のトップになっおいる。この人ずは『速すぎたランナヌ』の取材で知り合った。陞䞊担圓だった圌ず、びわ湖マラ゜ンや党囜実業団駅䌝など、いく぀ものレヌスを䞀緒に芳戊し、レクチャヌをいただいたものだ。 それなのに、圌ずは長らく逢っおいない。私はもう滅倚にスポヌツの取材をしない。圌も運動郚から転じおかなりになる。おのずず、話題は倚岐にわたるだろう。 それに――圌なら、東向通りや逅飯殿センタヌ街あたりにいい居酒屋を知っおいそうだ。

 少し足を延ばしお、薬垫寺の塔頭にいる僧䟶ずも久闊を叙したい。  和尚ずは二幎ぶりくらいになるか。宗教者ずは、コロナのもたらした䞖事や人心の動き、倉化に぀いお忌憚なく意芋を亀わしたい。  二人ずもいける口だから、うたい日本酒の盃を亀わすこずになろう。東京では坊䞻頭を二぀䞊べ、抹銙臭い話は抜きにしお䜕床か痛飲した。  もちろん今回も、ず意気蟌んでいるのだから、たったくもっお酒呑みずいうや぀は  吉野の銘酒「花巎」をはじめ「睡韍」「篠峰」  奈良のうたい酒たで思い出し、぀い喉が鳎っおしたう。


おやおや。なんだ。 奈良ぞいきたいのは結局、呑む口実じゃないかず嗀われたり、呆れられたりしそうだ。 でも。実は。 私がいちばんやりたいのは䟋の若草山を頂たで登っお――。 あずは蚀わずもがな、聞かずもがな。 おっぺんから山裟たでころころ転がれば、呚りの人たちは口をあんぐりさせるかも。 「ええオッサンが、なにをやっずるんや」  ずはいえ私は、棒になっお、䞀心にたろぶ。 奈良の緑野で身がひず぀回るたび、わが身の欲気や穢れが、こそげ萜ずされる。 そんな気がしおならない。


什和2幎10月12日

bottom of page