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澤田酒造と「白老」をめぐって(下)

 明けて2021年、火災から数カ月が経った時点で、改めて澤田副社長と話した。 「皆様のご好意と善意には心から感謝しています。ボランティアの方方も多数駆けつけてくださいました。まずは屋根の復旧に着手して、1月21日からは仕込みを再開させました」  過ぎた時間とその後の復旧のスピードのはやさ、復興のメドが澤田を勇気づけているのだろう。彼の声は本来のトーンに戻りつつある。  私もホッとした。 


余計なお世話ながら、かなりの額の寄付金が集まったらしい。  だが、澤田は苦笑する。 「せっかくの皆さんのお気持ちなんですが、寄付金は『雑収入』扱いになって税金がかかってきます。前にもいったように火災保険も満額とはいきませんし、再建資金は地元の金融機関にかけあっています」  

 なるほど、世の中というのは世知辛くできている。  そういえば、世間で何かと話題のクラウドファンディングを募るという話もあった。私は胸中で眉をひそめていたのだが、澤田はしっかりとこの資金調達システムの裏面を把握しており、手を出していない。さすがと感心したし、安心もした。

 夢を応援するなんて甘い横顔を打ち出していても、正体はネットの投資。カネやモノで利ザヤを得ようという仕組みには、それ相応の中抜きが生じるし、クラウドファンディングの業者だって慈善行為でやっているわけではない。  私の知人も、目標金額に到達した途端に、マチ金なみの金利を取られて憮然としていた……。 


澤田はこうもいっている。 「焼け太りなんてとんでもありません。温度計ひとつを買うのもままならない、苦しい状況ではあります。でも僕らの仕事、酒づくりは地域文化ですからね。絶対に酒蔵の灯は消しません」  その意気やよし! 私もようやく笑顔になれた。

 しかし、澤田酒造は酒づくりの肝心、麹室の全焼で麹づくりが果たせない。そこで、愛知県内の丸一酒造に関谷醸造、山忠本家酒造、そして三重の森喜酒造の4蔵が麹づくりを買って出てくれた。

「酒蔵の常識からしたら、麹のデータを〝商売敵〟に公開し、お願いするなんて考えられないことです。だけど、ご協力いただいた蔵は以前から特別に懇意な仲でしたし、なにより酒づくりの再開というのが最大の課題でしたから、僕らもそっちを最優先いたしました」


 その中の関谷醸造は「蓬莱泉」をはじめ県下に名高い銘柄を醸している。この蔵と関谷健蔵元については、私も『うまい日本酒をつくる人たち』(草思社文庫)に一篇を書いた。

 さっそく澤田酒造の件を訊ねると、関谷蔵元はこともなげにいってみせた。 「澤田さんが困っているんだから手を差し伸べるのは当然のことです」  もっとも麹に関してはかなり苦労したようだ。 「ウチは製麹を機械化しているんですが、データを打ち込んだからハイできましたというわけにはいかないです。そこは、やっぱり微生物がかかわる神秘というか微妙な環境の違いが反映してしまいますからね」 


なるほど……地酒が地酒たるゆえんは、やはり酒の個性。その根幹を麹が担うことを改めて認識させてもらった。麹の力を発揮させる環境を整えるのは蔵人の腕前にほかならない。


 余談だが、私が贔屓にしている群馬県の土田酒造や滋賀県の北島酒造、長野県の大信州酒造……などは、ことのほか麹づくりを重要視している。この二〇年、日本酒業界では酒造米や酵母にスポットライトが当たりがちだった。しかし今後は麹の重要性をみなおし〝麹回帰〟が大きなムーブベントになるのではないだろうか。


 関谷も当初は麹づくりに手をこまぬきかけたようだが、澤田酒造と関谷醸造の杜氏が専門学校の同窓生で、日頃から懇意なのが幸いした。二人は麹づくりについて細かな擦り合わせを行ったという。関谷はいった。 「おかげで〝まあまあ〟の麹には仕上げられたと思います」  澤田もその件に関しては深く感謝している。電話の向こう澤田の神妙な顔つき、何度も頭を下げている姿がみえてくる。  今後の見通しについて、澤田はこう語った。 「四月上旬には、東海の四蔵にお力をいただいた新酒を発売予定です」  恒例の蔵開放などのイベントは中止だが、その一方で麹室の建設と蔵の回収が進む。


「夏には麹室を完成させ、秋から全工程の自家醸造を再開します」  ちなみに麹は従来どおりに「面倒で手のかかる麹蓋」にするとのこと。 「火事になって改めて皆さんの、あたたかいお気持ちを知ることができました」  

薫蔵元と英敏副社長夫妻の子どもたちが通う小学校の全校生徒から寄せ書きが届いた。  ちなみに、この小学校の三年生は社会科見学で酒蔵へやってくる。そこにも常滑の地に密着し、寄り添う澤田酒造の姿勢が垣間みられる。 「寄せ書きは、がんばって、ファイトとうれしい励ましの言葉で埋められていました。中には十年後には必ず澤田のお酒を呑みますと書いてくれた児童もいました」


 澤田酒造は知多半島の常滑の地に密着し、この土地ならではの酒を醸してきた。火難は大きな不幸に違いない。しかし、この蔵にはそれを乗り越えるだけの想いと力が宿っていると信じたい。  厚意と好意を酒づくりという行為に託そうと立ち上がった、小さな酒蔵の復活を願わずにはおられない。


令和3年4月11日

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